ツィメルマン(ピアニスト)の来日公演に行ってきました

 
 

はじめに

昨年(2021年)12月8日(水)に東京・赤坂のサントリーホールで開催された、クリスチャン・ツィメルマン(Krystian Zimerman)のピアノリサイタルを弟と2人で聴いてきました。 半年以上経ってしまいましたが、素晴らしかった公演の記憶が薄れてしまう前に感想を書き残しておきたいと思います。 オレはクラシックなんか聴かない、ピアノも触ったことない、という方でも読みやすい記事になるように、可能な限り心がけるつもりです(どうなるやら…)。 文章内にいくつか楽曲のリンクを貼っていますが、ツィメルマンとは別のピアニストのものなので、その点ご留意ください。

ツィメルマン(個人的には「ツィマーマン」表記のほうに馴染みがあるのですが、近年多く見られる「ツィメルマン」に統一)は、1956年ポーランド出身のピアニスト。 1975年に、5年に一度開催される世界最高峰のピアノコンクールのひとつ、ショパン・コンクールにわずか18歳で優勝(当時最年少)して以来、現在に至るまで第一線で活躍を続ける、クラシックファンであれば知らない人はいないであろうピアノの名手です。 例えるならば、J-POPなら桑田佳祐、お笑いなら松本人志ポジションだと思います…(本当か…?)。 聴衆に「最高の響き」を届けることを至上とし、録音よりは公演に重きを置いていることでも知られ(とはいえ録音も名盤揃いだけど)、コンサートで弾くための曲を10年がかりで準備したり、世界各地の演奏会場に自ら手入れをしたピアノを持ち運んだりするなどのこだわりを持っているほか、 「音楽の採点は不可能」という持論からコンクール審査員の就任オファーを一切受けなかったり、 東欧ミサイル防衛構想が唱えられていた頃に祖国に基地を作ろうとするアメリカに対し明確に抗議の姿勢を示したり と色々とエピソードがあるのですが、そのあたりはネット上のインタビュー記事等(一例)に譲ることとします。 こうした著名なアーティストの公演にたくさん足を運べる!と思って、僕は田舎から都会へ出てきたはずだったのですが、 結局、多忙に加えてコロナ禍もあって全然機会がないまま、気づけば東京暮らしも終わりが近づいてきていたので、最後のチャンスと思って選んだのがこのコンサートでした。 上京してきたばかりの弟(クラシックファン)が一番好きなピアニストということもあって、彼も誘い、2人してスーツを着込んで六本木一丁目駅で待ち合わせ。冷たい北風の吹く夜道を、期待で心を弾ませながらサントリーホールへ歩きました。



リサイタル前半

少し時間に余裕を持って会場に到着し、プログラムの冊子を受け取る。席は9割方埋まっており、主催者発表では「満席・完売」とのこと。 サントリーホールは、ステージを360度囲むように座席が配置されている、いわゆる「ワインヤード型」を日本で初めて採用した非常に音響に優れたホールとして有名で、 果たしてどんなふうに音が響くものか、ワクワクしながら想像するうちに開演時刻の19時に。 舞台袖から、 CDジャケット写真通りの白髪白髭のご本人(「サンタ帽」が似合う音楽家でランキングづけをしたら間違いなく世界一だと思う)が現れた。 リサイタル前半の曲目は「音楽の父」J.S.バッハ作曲のパルティータ(組曲)の1番(BWV825)(冒頭1曲目)、 2番(BWV826)(「BWV」は「バッハ作品番号」と呼ばれる分類用の通し番号で、一応併記)。 拍手の中でピアノに歩み寄り一礼してから、勿体ぶることなくサラリと弾き始めた。 早速、しばしば「完璧」と評されるツィメルマンらしい、全く乱れのないコントロールされた演奏に息を呑む。 まるでカラフルなおもちゃのビーズがひとつずつ糸に通されて輪になるように、軽やかでありながら明確に粒立ちした一音一音が積み重なって曲が組み立てられていく。 気になっていたホールの響き方は、これまで経験したことのないものだった。よくある、(正面にステージがあるために)前の方から音が聴こえてくるホールとは明らかに違う。 目を閉じて聴くと、シャワーのようにホールの天井から音が降ってきて、音に包まれるような感覚になる。 そして、強音はもちろん弱音も、発されてから消えていくまで、手でなぞれそうなくらいに輪郭がくっきりとしていて、追いかけることができる。 安いイヤホンから1万円のモニターヘッドホンに乗り換えた時に感じた、視覚的にいえば「画像の解像度が上がる」感覚のさらにその先を行く体験だった。 ハッピーな気分で耳の保養をしているうちに前半はおしまい。ここまでは40~50分ほど。休憩時間へ(20分ほどだった記憶)。

正直なところ、バッハに代表される古典(バロック時代)の楽曲はツィメルマンのレパートリー外だと思っていた (評価の高い録音は軒並みベートーヴェンやショパンなので、ダイナミックな表現がよく合うその辺り(ロマン派以降)の作品を得意とするピアニストだと認識していた)のだけれど、 バッハを弾いてもとても上手だった(小学生並の感想)。 一番大好きなピアニストの生演奏を聴けた隣席の弟は大喜び。バッハの演奏については「ペダリング上手すぎんだろ…」と感嘆していた。 バッハ、延いては古典楽曲のペダリング(右足でピアノのダンパーペダルを使って音を響かせて演奏すること)は、曲にもよるけれど、概して難しい。 古典を弾いたことがある方であればお分かりいただけるかと思うのだけれど、ちょっと拙い踏み方をしてしまうだけでも、致命的に音が濁ってしまう。 そもそもバッハが活躍していた時代(18世紀以前)の鍵盤楽器(ピアノの前身の「チェンバロ」)にはペダルがついていない。 従って、そもそもペダル使用が想定された曲の作りになっていないし、踏むタイミングは全て演奏者の解釈に委ねられることになるのだが、その辺りもさすがツィメルマンは巧みだった。

満足の前半プログラムだった。しかしコンサート後半に、さらなる驚きが待ち受けていたのだった…(大げさ)


リサイタル後半

後半はブラームス「3つの間奏曲」(Op.117)(冒頭1曲目)と、 ショパンのピアノソナタ3番(Op.58)。 後半はどちらもツィメルマンが得意とするジャンル(19世紀の、いわゆる「ロマン派」と呼ばれる楽曲)で、さらに期待が高まる。

まずはブラームス。「3つの間奏曲」はブラームス最晩年の曲で、「渋い」とか「寂しげ」とか言われる曲調。 今回のリサイタルの演目については全て予習をした(事前に他のピアニストによる演奏を何種類か聴き、曲調を大まかに把握してある)のだけれども、 「3つの間奏曲」だけは、なんというか、地味で、イマイチ良さが分からない状態で公演当日を迎えてしまった。 華やかなバッハと技巧的なショパンの間に挟まれた単調なこの曲は「箸休め」なのかしら、と、後半の開演ブザーを聴きつつ、正直、「早くショパン聴きてえ…」みたいな気分だった。 ところが、間奏曲の1曲目の1音目を聴いて驚愕。さっきバッハを弾いていたのと同じピアノのはずなのに、とても同じ楽器とは思えない音が鳴っているではないか…。うまく説明できないのだけれど、「響き」が全然違うのである。 バッハが爽やかな初夏の草原なら、ブラームスは侘しい晩秋の雑木林といった感じか。この音色が曲調と実によく合っていて、前半のバッハと対比されたことによる効果も多分にあったのだろうけれど、素直に「間奏曲ってこんなにいい曲だったか…?」と思った。 ツィメルマンのオールラウンドぶり、表現者としての幅の広さを引き立てることが、ブラームスを今日のプログラムに入れた大きな狙いだったのか、とひとりで納得しつつ、間奏曲を聴き終えた。

次はいよいよお待ちかねのショパン。 実は、ツィメルマンのショパンを聴くにあたって、意識するつもりでいたことがあった。 というのも、2021年は5年に一度のショパンコンクール開催年(本来は2020年だったのだけれど、コロナで1年ずれた)で、ネットでコンクールがらみのさまざまな情報に接していたのだけれど、 その中で、「ショパンの楽曲の正しい解釈のあり方とは」という、主にコンクール審査員が問題提起していた論点が気にかかっていたのである。 例えば、ショパンの祖国にしてコンクール開催国のポーランド出身の審査員のクシシュトフ・ヤブウォンスキ氏が割と保守的なコメントを残す一方で、 今回の優勝者の師匠であり、自らも1980年に優勝したベトナム出身ピアニストのダン・タイ・ソン氏は柔軟なスタンスでいることが読み取れる。 そもそもこれは明確にひとつの答えが出せるような問題ではない(だからツィメルマンはコンクールの審査員をやらないわけだし)。 このような議論がある中で、クラシック界では「お手本」ポジションのツィメルマンがショパンをどんな風に弾くのか、それがとても興味深く、楽しみにしていた。 そういう心持ちで演奏を聞いたのだけど、、結論から言えば、ツィメルマンの弾くショパンは、これまでに(予習で)聴いてきた他の演奏者たちの誰とも似ていない、唯一無二のものだった。 ものすごい勢いがありながらも、同時に非常によくコントロールされていて、崩れるそぶりのない安心して聴ける演奏。緩急のメリハリがよく出ているけど、クドすぎることもない。 その上で、録音よりもライブ、というスタンスのピアニストであることは先述した通りなのだけれど、なんというか、いい意味で、録音よりも「攻めた」弾きぶりだった気がする。 最終の4楽章はとにかくパワフルで、「Rockなんじゃないか…?」と思わせるような瀑布の如き大迫力の爆速爆音フィナーレをノリノリで弾きこなされるものだから、 こっちもめっちゃアガっちゃいました(←最も的確な表現)。 個性的だけど奇抜ではない、「ショパンらしさ」と「ツィメルマンらしさ」を確かに兼ね備えた演奏だった。 要は、確固たるスタイルが存在していたということ。「巨匠」たることの本質を目の当たりにし、えもいわれぬ感動に浸りつつ、ずっとこの演奏を聴いていたい、と願うばかりであった。

満場の拍手。スタンディング・オペレーション。カーテンコール。(「ブラボー」等の発声はお控えください、との事前アナウンスがあったため、歓声はなかったけど)。 弟は、迫力ある低音の響きにシビれまくっていたようで、「録音の低音、絶対加工してると思ってたけど、してなかったのか…」とのこと。 ツィメルマンは滅多にアンコールをしないことで知られており、今回もご多分に漏れず…。 まあ、あの迫力満点のフィナーレの余韻だけで十分、さらにアンコールを上塗りされなくてもいいかな…と思えるくらいに、元々のプログラムが充実していたので、特に勿体無いとは思わなかった。 ただし、コロナの影響でサイン会(クラシックコンサートは大抵、会場ロビーに出演者CDの販売ブースが設けられていて、そこで購入特典として終演後にやることが多い)がなかったのは残念。(ミーハーなので…)



おわりに


終演は21時半ごろ。大満足でした。聴きに行けて良かったです。会場を出て、夕食がまだだったことに気づき、外も寒いしとりあえず早く暖を取りたいと思ったものの、 サントリーホール周辺には安いチェーン店が全然なく(凡そこういうコンサート帰りの人が立ち寄ることは想定されないからであろう)、少し離れた某牛丼チェーンまで凍えながら歩き、体を暖めてからそれぞれ帰路につきました。

ところで、気になる(?)チケット代ですが、学生割引で半額(クラシックコンサートは割と大胆な学割があることが多いです)になって1人¥8,500でした(兄なので弟のは奢った。ドヤッ★笑)。 標準的な(何をもって「標準」なのか説明できないけど)ピアノリサイタルの大体2~3倍くらいかな…というところ。言うまでもなく、今回の公演はそれだけの価値はあった、というか、率直に言ってプライスレスな体験だったと思っています。 僕は「やっぱりクラシックっていいな」という思いが強くなり、これまで以上にapple musicを聴き漁ったり、実家に戻って暮らすようになってからおよそ10年ぶりにほぼ毎日ピアノに触ったりするようになりました。 弟は、これがきっかけで大学のピアノ同好会の門を叩き、部室のピアノでバッハのパルティータを練習しつつ、コロナで思うよう広げられなかった人間関係を一気に広げたようです。良いこと尽くめでした。

新生活の地は、世界的ピアニストの公演なんてまず期待できないような片田舎ではありますが、今は新幹線も高速道路もあるので、注目コンサートを機会に都会へ遊びに行くのも良いかもしれません。 数ある趣味のひとつとして、音楽(ピアノ)も疎かにせず続けていきたいと思っているところです。



2022/07/18