2021年12月

12月1日(水) 曇のち晴

6時半起床。まずバイトへ、次に授業へ、そのつぎに中学校へ行って17時半帰宅。 風呂に入って4時間仮眠して23時起床。明日のゼミの準備を始める。

ところで、来年以降の日記(週記)の書き方について色々と考えたのだけれど、これから卒業・引越し・就職と慌ただしくなることや、 会社勤めを始めてしまうと事細かに書けるようなネタが急減すると思われる(コンプライアンス遵守の観点から)ことに鑑みて、 年明け以降は、1週間をひと言ふた言でまとめて近況報告を兼ねるというスタイルで続けていくことにしたいと思う。 週に1回の更新ペースは極力変えずにいきたいけれど、文章量は減ってしまうので、 この日記を楽しみにしてくれている方(片手で数えられる程度にはいてくれる。とても幸せなことです)には申し訳ない限りです。 その代わりに、今後はこのホームページの日記以外のコンテンツの充実を図っていきたい(2月以降のつもり)と考えているので、 気長に見守ってもらえるとありがたいです。とりあえず、年末まではよろしくお願いします。

12月2日(木) 晴

朝までゼミの準備(仮眠しているから徹夜ではない)。 論文を読み、自分なりに噛み砕いてレジュメにまとめるという作業である。再来週の討論会、さらには自分の卒論のテーマになる題材で、日頃扱っているものよりふた回りくらい複雑で難解で、ここ最近ずっと格闘している。 6時半に切り上げて朝食を食べてバイトへ。退勤後、昨日中学校に置き忘れた私物のバインダーを回収するために寄り道してからキャンパスへ。ゼミに参加する。 終了後、まだ広島行きの乗車券を購入していないゼミ同期と一緒にきっぷを買いに行く。窓口は結構混んでいて、20分ほど並んだ。 ここ最近、駅の有人きっぷ売場の「みどりの窓口」が急速に減らされている影響だと思われる。 鉄道会社としては、代わりに券売機があるから使ってください、というつもりなのだろうけれど、 お年寄りに操作して買わせるにはシステムが複雑すぎると思うし、学生割引のきっぷは従来同様に窓口でしか変えないので、僕たち若い学生にとっても不便である。 今の鉄道会社は経営状況も厳しいだろうからやむを得ない気はするけれど、ちょっと減らしすぎではないか…と思えてならない今日このごろ。 14時半に帰宅。洗濯機を回しつつ昼寝してからオンライン授業を1コマ受講。 風呂に入って、20時から3時間ほどサークル同期の友人の誕生日会(オンライン)に参加(というか、呼びかけ人が僕です)。お酒を飲みつつおしゃべり。 今日の主役の友人は卒論執筆の山場らしかったのだけれど、忙しい中顔を出してくれた。 実質的にサークルの同期会で、近況を言い合ったり就活を振り返るなどして盛り上がった。 今日のお酒は僕の一番好きな地元の銘柄で、 すごく飲みやすい(東京でも池袋西武とかで買えますので是非)ものだから、気がついたら一本(4合)空にしてしまっていた。追加で飲んだ部屋のストックも含めたら5合くらい飲んだかと思う。 間違いなくここ最近で一番酔ってしまったが明日の朝はいつも通りバイトである。二日酔いを軽減できるようお茶をいっぱい飲んで25時くらいに就寝。

12月3日(金) 晴

6時半に無事起床。ちょっと頭が重いけれどほぼ酒は抜けていた。バイトに行って、一旦帰宅。 眠かったので2度寝し、12時前に起き、キャンパスへ行って授業を受ける。 毎週金曜の午後の授業は、趣味で受講している「地誌」(実態はアジアの諸地域の文化人類学講義と化している)なのだけれど、これがメチャクチャ面白い。 先生は諸地域の「呪術師」(日本でいうと恐山のイタコや沖縄のユタとか)を尋ねてインドや東南アジアの辺境の集落に赴きフィールドワークを繰り返しているような方で、 現地の写真と併せて話をしてくださる。90分の講義が毎回あっという間である。 授業後はサークルの部室に寄ってのんびりして、21時前に帰宅。11月のラスト4日ぶんの週記をまとめつつ今日もオンライン通話に顔を出していた。25時過ぎに寝落ち。

12月4日(土) 晴

9時起床。軽く朝食を食べ、11時過ぎにカメラを持って家を出て、電車を乗り継いで東へ。 千葉県は習志野市、京成大久保駅で、埼玉からはるばるやって来てくれた学部の友人にしてカメラの師匠と待ち合わせ。 お目当てはラーメン二郎京成大久保店の味噌ラーメン。 駅のホームで軽く撮り鉄(イマイチ車両にピントが合っていないのが反省点)してから店へ。 混み合うであろう正午ごろを外して14時ごろに着いたけれど、それでも外待ち20人弱。 友人はもっとすんなり入店できると思っていたらしく驚いていたけれど、僕としては、まあ土曜の昼だからこんなもんだよな…という感じ。 1時間後に着丼。 ご存知の通り(?)、ラーメン二郎のスープは豚骨醤油味が基本なのだけれど、(おそらく)この京成大久保店だけに「味噌味」が存在していて(スープに味噌ダレを溶かしている模様)、 とても評判が良いので、訪問した暁にはぜひ食べたいと前々から思っていたのだった(今年の年明けに一度行ったのだが、臨時休業にやられた)。友人も味噌。 ということで、平打ち・ヌメりのある太麺をスープに絡めて啜る……程よく辛さが効いていて二郎系としてはもちろん、味噌ラーメンとしても上出来な逸品だと思った。大満足。 ちなみに、京成大久保店をもって、無期限休業中の立川店を除いた国内のラーメン二郎(直系)全店舗への訪問を果たせた。実質的に全店制覇なのだけれど、 年内に茨城(ひたちなか市)に新店舗が開業するそうなので、地元に帰る前に行っておかねば… もう随分日が短くなっていて、15時半前に店を出たらもうすっかり夕暮れの雰囲気だった。佐倉のあたりのオレンジ色に染まる畑の風景を車窓から眺めて癒されながら成田へ移動し、 東成田駅と夜の空港で友人と撮影会。東成田駅はなかなか面白い駅で、開業から平成初期までは「成田空港駅」だったのだけれど、新線・新駅の開業で旧駅となってからは人通りがほぼなくなり、 ちょっと尋常ではないくらい寂れた雰囲気を纏ってしまった駅である(それでも空港で働く人のために駅が残されているものと思われる)。 駅の薄暗いホームに残されている空港駅だった頃の看板を撮るなどしてから、 空港のターミナルビルの屋上展望台に上り、夜の駐機場の飛行機を撮る。 相変わらず暗い場所での撮影が苦手なので、友人の手ほどきを受けた。 色温度・シャッタースピード・F値・ISOを友人に言われるままに修正していくと、ちゃんと撮れるようになり感激。 場数を踏みつつ勉強もしてさらに慣れていきたいところ。 帰りはJRに乗車。途中で友人と別れて帰宅。動き回ってまあまあ疲れたので23時過ぎに就寝。

12月5日(日) 晴のち曇

8時半起床。午前中はオンライン授業を消化するなど。 13時過ぎに東京駅丸の内南口で妹・弟と待ち合わせ、のはずだったのだけれど、 まあ危惧していた通り、どちらとも時間通りに待ち合わせ場所に辿り着けなかった。 妹は地下改札や丸の内北口を放浪した挙句迷子になり、弟は途中で違う方向の電車に乗ってしまいタイムロス。結局田舎者なんだなあ… 今日は東京に住んでいる伯父(祖母の兄)に、丸の内のステーキハウスでご馳走になった。 会うのは3年ぶりで、80歳を過ぎていらっしゃるのだけれどお元気だったので何より。 おそらくこの二十数年の人生で食事をした中では間違いなく5本指には入るようなハイソなお店で、 メインディッシュのステーキはもちろん、前菜のサラダやスープを含めて、美味しいという以上に、 これまで経験したことのないような味わいだった。 伯父さんに各々の近況をお話ししたり、思い出話(丸の内のオフィス街に勤めていらっしゃった方なので)を聴かせてもらうなどしていたら あっという間に時間が経っていた。 17時前に東京駅でお見送りして、帰宅。お腹もいっぱいになったところで一息ついて21時からのバイトへ。 床の水拭き掃除をしようとしたところに、親に連れられて小さな子供が入店して走り回るなどし始めたため、 転ばれては困るので後回しにする。 僕は子供の頃は21時を過ぎたら寝かしつけられる生活だったので、深夜に買い物にくる親子連れ(結構いる)は見るたびにちょっとした違和感を覚えている。 まあ、夜中に家に子供だけを置いておけないということなのだろうし、理解はできるのだけれども。 帰宅して25時就寝。

12月6日(月) 曇

7時半起床。朝食を食べ、支度をして電車で川崎へ。およそ1ヶ月ぶりの二輪車教習である。 今日から2段階ということで、卒業検定のコースの練習(宿題だったので、昨日の昼覚えた)が始まったのだが、 1ヶ月ぶりということもあって、基本的な乗車姿勢も結構注意されてしまった(ブレーキ使い過ぎ、曲がるときにクラッチ切らない、右足をつかないなど)ので、意識して直していきたい。 2コマ受けて14時過ぎに都心にる。移動しながら、今度の討論会で司会をしてくださる先生(大学教授)にメールを送るなど。 昼食を食べてから21時までバイトに行き、帰宅後軽く晩酌してから24時就寝。

12月7日(火) 曇のち雨

6時半に起きてバイトへ。一旦帰宅してから中学校へ。 放課後の自習教室で生徒が見ていた某難関高校の数学の入試問題(平面図形)の問題を解こうとするも解けず(解き方が閃かなかった)、限界を感じざるを得なかった。 17時前に帰宅して洗濯機を回し、18時から21時まで仮眠。起きて夕食を食べ、サークルのオンライン通話をBGMにしながら溜めてしまった週記を書く。

12月8日(水) 雨

3時くらいまでに日記を片付けて、あとは朝までゼミの準備を…と思っていたけれど、おしゃべりしながらのんびり日記を書いていたらいつの間にか5時になっていた。 1時間あまりの仮眠をとり、冷たい雨がしとしとと降るなかをバイトへ。 退勤後大学へ向かおうと、駅前のバス停の行列につく。 バスは5分おきに来ることになっているのだけれど、 超満員で5分遅れてやってきて、そのすぐ後ろを見るとガラ空きの一本後の便が定時で続いてきているので、迷わずそちらに乗り込む。 道路がやや混んでいる雨の日なんかにはよくあることで、こういう場面に出会すたびに僕はいつも 戦前の物理学者の寺田寅彦が書いた「電車の混雑について」という随筆を思い出す。 現代の都バスとまったく同じ現象が100年前の都電でも起こっていたというのは面白いと思う。 乗り込んだバスも、直ぐ前を走りながらますます乗客と遅れを増していく1本前を追い越せず(そういう決まりになっているらしい)、 ついにはさらに一本後に追いつかれそうになってきたので、諦めて地下鉄に乗り換えてキャンパスへ(頑なにバスに乗ろうとするのは都バスの定期を持っているため)。 授業を受け、中学校へ行き、日が暮れて退勤する頃には雨は小降りになってはきたもののまだパラパラ降っている。 帰宅して風呂に入り、スーツに着替えて地下鉄で六本木のサントリーホールへ。 弟と2人で、ずっと楽しみにしていたツィマーマンのピアノリサイタルを聴きにいく。 とても素晴らしかったです。ここに感想を長々と書いてもいいのだけれど、せっかくなので後日別にページを作って書くことにします。 終演後は、とても寒かったので溜池山王の「なか卯」で弟と暖かいうどんを啜って身体を温めてから帰宅。 幸福感に包まれながら、睡眠不足だったので倒れ込むように23時半ごろに寝た。

12月9日(木) 曇のち晴

6時半起床。朝食は食べずにバイトへ。退勤後、牛丼で腹ごしらえしてゼミへ。討論が来週に迫っているので一緒に参加するゼミの仲間と打ち合わせなど。 卒論について、先生から「書いてくれれば優秀論文として推薦しますよ」(ゼミごとに最低1枠は教授推薦枠があるらしいのだが、以前書いたとおりウチのゼミは僕以外誰も書かない)とのお言葉。 卒業の際に賞状とメダルがもらえるとのこと。 文字数さえクリアできればいいかな…という気持ちになりかけていたのだけれど、これはちゃんとしたものを書くよりないのでますますプレッシャーが高まる。 ちなみに締め切りまであとひと月あまりですが進捗0文字です(年末年始部屋に篭って書くつもり)。この半年、日記によって文章を書く習慣をつけてきたのがプラスに働いてくれればいいのだけれど。 午後は年内ラストのウエイトトレーニングの対面授業である。前回の反省(昼飯を食べ過ぎたせいでダウンした)を踏まえ、お昼はコンビニの肉まんひとつ。 週を追うごとにハードになっているので、参加者も初回の半分ほどまで減ってしまったが、僕はかろうじて皆出席を保てている。 今日の内容は「ジャイアントセット法」という、複数(6種類程度)のトレーニング種目を続けてやる方式 (要は、前回の「ウエイト・サーキットトレーニング」から腿上げなどの有酸素運動を除いたもの)だった。 前回は腿上げのせいで5日ほど激しい太ももの筋肉痛に悩まされたが、今回はそれがなかったぶん楽だった。 いつもより10kg上乗せした50kgのスクワットにも挑戦して上手くいったので、成長も感じられた(筋肉痛の超回復か)。 しかし、ジャイアントセットはあっという間に終わってしまい、授業の残り時間でやらされたトレーニングがキツかった。 腹筋(ただの腹筋ではもちろんない。10kgの重りを抱き、ベンチに腰より上をはみ出させた状態で40回)と 腕立て伏せ(三角形になるように配置されたベンチそれぞれに右手・左手・足を置き、座面の下まで身体を落とすように言われながら背中に10kgの重りを乗せられる) でさんざんに鍛えられ、ベンチの狭間に落ちて悶えているうちに授業終了。腹筋も腕立ても家でできるトレーニングなので、自主トレしたほうがいいのだろうな(と口で言うのは簡単なのだが)… いつものようにプロテインミルクと、唐揚げ(ファミチキが食べたかったのだけれど売り切れていた)を食べてから帰宅し、眠気を堪えながらなんとかオンライン授業をひとつ受けて (木曜夕方は趣味で西洋史(フランス史)を受講している。今日はフランス革命と明治維新の類似性が指摘されていて、興味深かった)、量の食事が出るまでまだ1時間あるのでちょっとだけ仮眠 …と思ったところ3時間ほど寝てしまい。22時前にギリギリ食堂に滑り込んで間に合わせた。昨日・今日の週記をまとめて書いて25時就寝。

12月10日(金) 曇時々晴

6時半起床。バイトへ。退勤後一旦帰宅。ゼミの準備を進め、少しだけ昼寝してから大学へ。 講義を受けてから、図書館で文献を集め、夕食に二郎系ラーメンを食べる。 顔見知りの店主さんに就活の結果報告をするなど。そのあと名画座「早稲田松竹」へ。 先日「ポンポさん」を鑑賞してから、久しぶりに実写映画を観たくなっていたところに、 前から一度スクリーンで観たいと思っていた「戦場のメリークリスマス」 (予告動画)がちょうど上映されていることを知り足を運んだ次第。 音楽家の坂本龍一氏(俳優としてこの作品に出演もしている)が手がけた テーマ曲「Merry Christmas, Mr. Lawrence」はかなり有名なので耳にしたことのある方も多いのではないかかと思う (僕もこの曲が好きで、弾いたこともある)けれど、映画のほうは、一言ではまとめ辛いかなり独特の戦争モノだった。 舞台は1942年のジャワ島の日本軍の俘虜収容所で、銃撃戦や空爆などの戦闘シーンは一切ないし、史実に基づいているわけでもなさそうだったけれど、 下手な戦争モノ(もっとも、僕自身は戦争映画はほとんど見た事がないのだけれど)よりはよっぽど「戦場の空気感」のようなものを巧みに書き出しているように思われた。 あと、主人公を演じるデビッド・ボウイ(彼も本業は俳優ではなくミュージシャン)のカリスマ性の溢れ出る佇まいにただただ惹きつけられた。 日頃アニメ映画ばかり観ている身としては、かなり強烈な2時間でした。劇場で観ることができて良かったです。 最終バスで帰宅し、24時前に就寝。

12月11日(土) 晴

4時ごろに腹痛で目を覚ます。昨晩の二郎系の脂で腹を壊してしまったみたいで、1時間ほど悶え苦しんでから2度寝。 8時半にベッドから出て、大学へ。日が暮れるまで図書館に篭って来週の討論の準備を進め、17時半帰宅。 討論の対戦相手に渡すレジュメが一応の完成を見たので、少し気が楽になった。 寮の友人とhubに飲みに行き、帰宅してからはIPAビールをつまみに日本酒を飲みつつ、 かなり久々にウェブサイトの整備。 ラーメン二郎のページに半年ぶん14杯の写真を追加したり、 雑稿のページの開設に向けた準備をするなどしていた。 ホームページ整備については、結局この半年日記ばかり書いているものだから、<br>以外のタグの打ち方を忘れてしまった…とまでは行かないけれど、定期的にhtmlの復習を兼ねて色々いじっていきたいところ。 26時ごろ就寝。

12月12日(日) 晴

9時起床。午前中は洗濯をしつつダラダラしてしまった。13時から、来週の討論会の事前打ち合わせ。 相手チームの面々と司会の先生(教授)とzoomでお話をする。 事前資料の確認がメインだったのだけれど、修正が必要な箇所を何点か指摘された。1時間ほどで終了。 午後はのんびり討論の準備を進めて、昨晩の酒のせいで少し頭が重かったので昼寝もして、19時ごろに吉野家のスタミナ超特盛丼(2000kcal超えらしい)を食し、バイトへ。 店長から年末年始のシフト表をもらう。人が足りない時期なので、30日から1月3日まで深夜5連勤、計30時間強の労働ということで、2年連続働きながら年を越すことになりそう。 ちょうど卒論と期末課題も大詰めを迎える時期なので、昼間はそれらを頑張りつつ、バイトを息抜きとしてうまく使えたらと思っている(大晦日・元日の夜中はお客さん少ないので…)。 帰宅して25時前に就寝。

12月13日(月) 曇のち晴

8時起床。朝食を食べ、電車で川崎へ。二輪教習2コマ受講。最初は実車で、先週同様に卒検コースの練習。「加速に元気がない、ちゃんとアクセルを使うように」と叱られるなど。 そのあでとシミュレータ。交通事故の体験ということで、バーチャルな空間で歩行者や大型トラックに衝突しまくってきた。 コリジョンコース現象(十勝型事故)の体験がいちばんためになった。 電車で都心に戻り、日本橋にある地元のアンテナショップでお菓子の詰め合わせを購入。今週水曜の朝が、3年半勤めた駅バイトの最終勤務日なので、お世話になった職場のみなさんにということで準備することにした。 うどんを食べ、バイトへ。 陳列をしていたら、キラキラした見た目に興味を持ったのだろうか、母親に連れられた4.5歳くらいの女の子がジェルタイプの消臭剤のケースを持って駆け寄ってきて、「これ、なあに?」と訊いてきた。 咄嗟のことだったので、「消臭剤ですね…」と返してしまった(マジレス)のだけれど、「食べものでもおもちゃでもないよ」みたいなことを言うべきだったのだろうな、と少し反省するなど。 22時帰宅。部屋にゴミが溜まってきていたので、夜だけれど掃除して、24時ごろ就寝。

12月14日(火) 曇一時雨

6時半起床。駅に行く。明日が最終出勤日。その後中学校に行って15時帰宅。 討論会が来週に迫っているのでとにかくその準備(ちなみに、こういう討論会です。)。 発表資料(パワーポイント)の作成にも打ち込む。25時就寝。

12月15日(水)晴

6時起床。3年半続けてきた朝の駅バイトの最終日である。天気もよく、勤務中にダイヤが荒れることなく無事終了。 ホームから戻ったところで、9時からの朝礼(バイトの僕は出なくてよく、それくらいの時間にいつも帰っている)に出てひと言喋っていかないかと言われ、 駅長から紹介されてから、感謝の言葉を述べさせてもらうなど。 雨の日も風の日も夏も冬も人身事故の日も(結局目の前で目撃することなく済みました)3年半ホームに立ち続けた。それ以上でも、それ以下でもない。 レンタルしていた制服類をすべて返却し、荷物をまとめて職場をあとにする。 いつもより40分ほど長くなったので、直後に控えている講義の現地参加は諦めて、自室からオンライン受講。毎回おもしろいのだけれど、オンラインではやっぱり眠くなってしまう。 90分間睡魔と闘ってから、顔を洗って中学校へ。17時半帰宅。中3生と円周角の問題を解くなどしてきた。 帰宅後は鉄研の同期が近所に来てくれたので一緒にご飯(豚丼)を食べる。JRの全ての路線に乗車したことのある彼は全国各地の名所・特産にかなり詳しく、 旅の前に会って色々話を聞くことができて良かった。帰宅してからも討論の準備。21時から3時間ほど仮眠。

12月16日(木) 曇時々晴

0時起床。ゼミ準備。朝5時に家を出て、弟に会いに行く。今日の夜に広島大学に向けて出発、討論会の後は10日ほどひとり旅をしたのち、 クリスマスの夜に約2年ぶりに実家に帰って、両親の顔と祖父の遺影を見る予定。 そのあと地元で開かれる内定先の企業の懇親会に顔を出そうとしているのだけれど、そこではスーツを着なければならない。 どこぞのyoutuberではないので、旅の間スーツを持って(あるいは着て)移動するのは避けたいところ。 ということで、僕より先に帰省する弟に運んでもらうことにした。朝6時過ぎに弟の住む多摩某所で待ち合わせ。 スーツ(や、革靴など一式)が入ったエナメルバッグを託して、ラッシュが酷くなる前に都心にとんぼ返り。 寝不足でフラフラだが、新宿駅で温かいそばとコーヒーを口にして、なんとか気合を入れ直して大学へ。 ゼミでは教授・一緒に広島に行くメンツ(僕含め3人)と最終打ち合わせ。 人数も少ないからいいでしょう、ということで、討論終了後に先生からお好み焼きをご馳走していただけるとのこと。 大学食堂でお昼を食べてから、14時半から1時間半ほど中学校へ。突発的に人手が足りなくなったということで呼ばれた次第。 眠すぎるが、生徒の前でうたた寝するわけにはいかないので、とにかく耐える。 帰宅してオンライン授業1コマ、なんとか受けきって、風呂に入り、寮食を食べて、荷造りをして東京駅へ。 21時50分発の夜行列車「サンライズ号」のノビノビ座席 (一番グレードの低い、仕切りのない硬いカーペットの上でゴロ寝する席)に乗り込む。 寝心地は良くないと聞いていたので、意図的に寝不足の状態になっておけば寝付けずに苦しむことはないだろうと思い、そうしてみたのだけれど、 まあ、室温が高いし乾燥しているしで全然良くない。1時間おきに目が覚めてしまう。

12月17日(金) 曇のち雪

結局4時に寝られなくなって、フリースペースのラウンジで討論資料を読み込むことにした。 6時半に岡山駅に到着。同じサンライズ号に横浜駅から乗ってきたゼミ同期の友人1名(以下、Aくん)と合流。 Aくんはぐっすり眠れたと言っていた。羨ましい。 7時開店の駅そば屋で温かいうどんをすすり、少しだけ生き返る。 西日本風の、薄味だけれどもだしの効いたスープ。うどんはやっぱりこの味でなくちゃ(西日本民)。 討論会に参加するゼミ同士でお土産の交換をすることになっていることをここで思い出し、「きびだんご」を30個購入。 8時の新幹線で広島県の三原駅へ。乗換待ち(1時間!)の間に僕は新幹線ホームで写真を撮るなどした。Aくんは寝ていた。 あと、改札前のお土産屋で三原の銘酒、「醉心」のカップ酒も購入。 酒豪としても知られる日本画家横山大観がいたく気に入って毎日2升飲んでいたことで知られるお酒である。 討論の後の楽しみにとっておくことにする。 山陽本線の普通列車に乗って、11時ごろ広島大学の最寄り、東広島市の西条(さいじょう)に到着。現地は曇空で、瀬戸内らしくない冷え込み方をしている。 夜行バスで広島まで来たもうひとりのゼミ同期(Tくん)ともここで合流。学生は全員揃った。 とりあえず昼飯を、ということで、駅近くの定食屋へ。 地元で愛されている老舗ということだった。ボリューム・価格・味のすべてに大満足。 牡蠣が好物のAくんは、さっそくカキフライ定食を頼んでいた。大粒な上に牡蠣エキスが溢れ出ていて、そっちにしてもよかったかな、と思うなど(僕は日替わり定食)。 お会計の際に。「おみやげ」と言われてレジ横の籠に積んであったみかんをひとついただく。甘くて美味しかった。 西条・広島大学は広島市街地からかなり離れた高地にある。昼過ぎから冷え込んで天気が不安定になってきたので、バスで早めに大学に移動してしまうことにする。 大学集合は16時で、それより前に入構するなということだったのだけれど、田舎町に時間を潰せそうな場所も見つけられないし、何より寒くて外にいては間違いなく風邪を引いてしまうだろうから、 法律学上の「緊急避難」であると判断し(大げさ)、広大生のフリをして3人でキャンパスに入り込む。 コミュ力強者の好青年Aくん(体育会サークルのキャプテンを務めていた)が、通りすがりの女子学生に「ラウンジみたいな場所ありますか?」と聞くなどしてくれた結果見つけることができ、 そこでのんびり資料など読んで過ごすなどしていた。15時頃にふと外を見たら、雪が降っていた! 今年の初雪を広島で見ることになるとは思っていなかった。 16時から顔合わせ会。大教室2つと全国各地のゼミ生(半分くらいの人はオンライン参加。僕のゼミも4人が東京から参加する。現地とリモートで2チーム作った形)をzoomでつないで、各大学のゼミが順番に自己紹介をしていく。 ウチについては、てっきり東京にいるゼミ長がやってくれるものだと思っていたのだけれど、僕が知らないうちに教授(ちなみに教授は夕方まで東京で仕事をしてから夜の新幹線でいらっしゃる。)からの指名があったらしく、 咄嗟にゼミ紹介を振られる。戸惑ったけれど、思いつくままになんとか喋った。大勢の前で話すのは得意ではないのだけれど… 終わってから、ゼミの人数を間違えた(7人のところ6人と言ってしまった)ことに気づき、ゼミLINEに謝罪の言葉と「自分のことを数え忘れたということで…」という言い訳を書き込んでいたら開会式が終わる。 18時過ぎにすっかり暗くなった外へ出たら、吹雪だった… どうせ瀬戸内のこのあたりは天気が良いだろうと思い、ホテルまで小一時間歩きながら明日の戦略でも練ろうか、というつもりだったのだけれど、これは想定外も甚だしいところ。 僕たちの宿泊地に向かうバスは今日はもうない。大学の正門前で困り果てているところに流しのタクシーがちょうどやってきてくれたので助かった。 15分ほどで新幹線の東広島駅前のホテルへ。今日と明日はここに泊まる。 夕食を食べ、最終打ち合わせを各居室(大学との取り決めでで全員個室に泊まっている)からzoomでつないで23時から1時間行うことに決めて、部屋で少し休む。 寝不足だし疲れているし寒かったしで、暖かいホテルの部屋にいるとめちゃくちゃ眠くなってきた。 しかし、22時に到着する新幹線に乗ってこられる教授をホームでお出迎えする役割を仰せつかっているので絶対に寝るわけに行かない。 あったかいところにいるからダメなのであって、21時半に吹雪のホームに上ってカメラを構える、夜ではあるけれど、雪と新幹線の写真が取れる絶好のチャンスである。 夜の撮影にはまだ馴れていないのだが、なんとか頑張った。写真が暗くなりすぎないようにすることと、 刻一刻と変わる雪の降り具合にあわせて、雪の粒が引き立つような絶妙なシャッタースピードを選ぶ必要があるのもすごく難しかったけれど、面白かった。 教授をホテルまでご案内し、23時から小一時間、PCの動作チェックも兼ねて打ち合わせをして、24時に寝る。

12月18日(土) 曇時々晴

7時前に起床。シャワーを浴びてホテルの朝食を食べ、8時過ぎに広島大学へ。雪は止んで晴れているけれど、かなり冷え込んでいる。 僕たちのチームは朝一番のセッション(09:30~12:00)。相手の大学も司会の先生も東京の大学の方々なので、べつに広島でなくてもできると言えばできるのだけれど…笑。 討論の中身については専門的になりすぎるので(読んでるのはこんな論文とかです)省くけれど、 今回は司会の先生と相手にも恵まれて、なかなか充実した時間になった。事前の準備とも噛み合ったのでバッチリ。 広島大学の学食(土曜も夜までやっているようで凄い)でサクッとお昼を済ませ。 午後はこれまでの疲れがドッと押し寄せてきてすごく眠かったけれど、東京から参加しているゼミの仲間の討論をオンライン傍聴するなどしてノンビリ過ごした。 おみやげ交換会では、我がゼミの岡山「きびだんご」は結構な人気だった模様。 参加大学は関東圏が多いし、無難な東京土産だと似たりよったりであんまり面白くないだろうし、結果的に良いチョイスだったかな(自画自賛)。 19時頃に閉会式を終え、事前のお話の通りお好み焼きをご馳走になった。大学近くのお好み焼き屋(したみ亭)へ。 東広島一帯は酒どころとして知られているので、おともに日本酒を、と思ってさっそく地酒を注文するも、 教授、Aくん、Tくんの3人は飲まない人々らしく、彼らの烏龍茶を横目にテーブルの隅でひとり手酌。何も悪いことはしてないはずなのだけれどなんだか申し訳なかった… もちろんお好み焼きは美味しかったです。広島のお好み焼きを店で食べるのは初めてで、焼いているところに見入るなどした。 教授からは色々と面白いお話を聞かせていただいたのだけれど、ここには書かない。 タクシーでホテルに戻り、そこで一応解散。月曜に3コマ授業を抱えていらっしゃる教授は明日の早朝の新幹線で帰京、Tくんも友人と会うために朝から広島市街地に行くらしいのでお別れ。 Aくんと僕は特に予定を決めずに来たので、明日は一緒に牡蠣をたらふく食べに行こうということになった。 近くのコンビニで現地の酒造のカップ酒(白牡丹)を追加で買い、 ホテルの部屋に戻ってから23時くらいまで酒を浴び、倒れるように寝た。

12月19日(日) 曇

7時起床。やや二日酔い。ホテルの部屋はベッドは快適だけれど、室内の乾燥がひどくて連日喉をやられている。 ホテルの朝食を食べ、9時にAくんと玄関で待ち合わせ。小雪がちらつく東広島駅から新幹線で15分、広島駅へ。 そこから普通列車に乗り換えて、新井口(しんいのくち)駅で下車。海の方へ20分あまり歩く。 まずは牡蠣を食べにいこう、という話になって、いろいろ調べた結果、「草津かき小屋」という、 漁港にあるお店がコスパ抜群のようだったので、そこへ向かう。 日曜なので相当混むだろうと思って、開店30分前に並んだところ、予想通り続々と後から人がやってくる。開店と同時に入店。 人の頭くらいのサイズのバケツいっぱいの牡蠣(約2.5kg)が¥2000(¥1700/1kgが相場らしいので、凄まじい安さである)で、 これをテーブルの上の網でひたすら焼き続ける。併せて頼んだ¥800の定食(牡蠣飯・カキフライ・牡蠣の味噌汁セット)も良かった。 トータル30粒以上は食べただろうか。Aくんも僕も大満足。自分が見つけて薦めたお店で喜んでもらえるのは、こちらとしてもかなり嬉しいものである。 13時から2時間ほど宮島に滞在(鹿の写真)。 厳島神社の有名な水上の鳥居は改修中で、覆いに隠されていたので少し残念。 おみくじを引いたら吉でした(Aくんは凶。有名な寺社ほど凶の割合が高いと思いませんか?僕は鶴岡八幡宮で凶を引いたことがあります)。 「広島、白いスニーカーを履いている人の率が異様に高い気がする」とAくん。晴れの日が多くて泥濘を歩くことが少なそうなこのあたりの気候が影響しているのだろうか。 路面電車で市街地へ戻り、原爆ドームと資料館を覗き、18時頃、東京に戻るAくんを広島駅で見送る。 駅前の酒屋にフラリと寄ったら、結構珍しい「王祿」という日本酒が小瓶で売られていたので、今夜の晩酌酒にすることにして、 購入して広島駅近くのホテルへ。最寄りのスーパーで購入した鰹のタタキをアテにしてチビチビやる。 大学の後輩も広島にいるということだったので、22時から2時間ほど八丁堀(広島の繁華街)で会う。 以前、日本酒に興味があると話していたな、と思い出し、目星をつけておいた「Sake Bank Hiroshima」という店に連れて行った。 時間制で、定額を払えば、小さなお猪口を渡されて店にある日本酒がいくらでも飲み放題になるということで、90分コースで15種類くらい飲ませてもらった。 お酒以外の飲食物の持ち込みができるという珍しいスタイルで、店内は雑多な雰囲気が一切なく、純粋に日本酒を愉しむ店という感じだった。 広島の地酒はもちろんだけれど、全国の有名だったり珍しかったりする銘柄、特に僕の地元の「羽根屋」「勝駒」などが置いてあったのにはかなり驚いた。 聞けば、店主さんがここ最近僕の地元(富山)のお酒にハマっているようで、わざわざ現地の酒屋に頼んで取り寄せたとのこと。 繁華街の一等地にあるこんな素晴らしいお店なのに、客は僕たちともうひとりだけ。 「インバウンドを見込んで開店させたんですけどね…」とのことで、ここしばらくはかなり厳しいらしい。 広島にお立ち寄りの際はぜひ寄ってみてください。後輩もいい経験になったと喜んでくれた。 千鳥足で24時半頃に居室に戻って就寝。

12月20日(月) 曇時々晴

7時半起床。ホテルの朝食を食べて、荷物をまとめてチェックアウト。 昼過ぎまで、広島の路面電車を乗りつぶしながら 写真を撮るなどしていた。 広島市は、都市の規模に照らせば地下鉄を敷設されていてもよさそうなものなのだけれど、作られることはなく(地盤が軟弱であるなどの理由から)、 市街地に広く路面電車の路線網が残されている。半日がかりで全部乗り切った。 原爆ドームの前で、奇跡的に被爆電車を目撃。写真に収めることができた。 お昼に「広島冷麺」を食べたのち、広島駅から延々と普通列車を乗り継いで東へ。 呉や尾道といった街にもしっかり寄りたかったのだけれど、今回は時間がないのでほぼ素通り。 途中、ちょうど日没時間帯前後、に尾道(おのみち)のには少しだけ寄り道することにして、 息を切らしながら駅の背後の傾斜地を這い上がって(めちゃくちゃ急だった。尾道をナメていました)、展望台(千光寺山)まで夜景を見に行ったのだけれど、 展望台は改修中ということで閉鎖されていた。山の上は木が茂っていて、それが邪魔で大した景色は見られず。残念。 おとなしく下山(しながら撮った写真)。 今日の宿泊地はお隣岡山県の倉敷で、19時過ぎに到着。駅前のホテルに荷物をおいてシャワーを浴びてから、友人から教わったローカルチェーン「ぶっかけうどんふるいち」で夕食。 合わせ出汁のつゆとコシのある麺が良かった。岡山もうどんが美味しい場所ですね。 カップ地酒で軽めに晩酌し、明日が早いので22時前には就寝。



12月21日(火) 晴時々曇

5時45分起床。財布とカメラだけ持って倉敷駅へ。朝一番で水島臨海鉄道という私鉄に乗りに行く。 ここは平日朝夕限定でラッシュを捌き切るためにレアな旧型気動車を走らせていて、 今回倉敷駅前に宿をとったのは早朝にコレに乗りにいけるようにするため。 高架の上を走る列車の車窓から見る朝焼けはきれいだった。 往復1時間強で倉敷に戻ってきて、ホテルで朝食をとり、今度はザックを背負って改めて出発。 倉敷から一駅東に行った中庄駅のホームの端から1時間ほど撮り鉄し、田んぼの中を3キロ近く歩いて8番ラーメンを目指す。 僕の地元の北陸地方以外には基本的に店舗を持たないローカルチェーンがなぜか倉敷周辺に数店舗出しているので、興味が湧いて訪ねてみることにした。 頑張ってたどり着いたら、入り口には「臨時休業」の張り紙が。 帰りも田舎のあぜ道を30分、こんなときの気分に寄り添ってくれるような悲壮なクラシック曲(ラフマニノフのピアノソナタ2番)を聴きつつトボトボ駅まで戻った。 岡山駅まで移動したらもう正午。 宇野バス(岡山のローカルバス会社。日本一運賃が安い民間のバス会社らしい)に30分揺られ、 岡山市中区の「雄町」という地域へ行く。 日本酒がお好きな方にはおなじみ、酒米「雄町」の発祥の地で、 「オマチスト」(雄町で醸した酒を好んで飲む人)のひとりとして一度来てみたかった場所である。 細い路地に沿う古くからの集落に石碑と湧き水(名水百選に選ばれているらしい)があり、いい雰囲気だった。 雄町地区のの近くにある岡山(津山)名物「ホルモンうどん」の店で弁当を買い、バスで市街地に戻り、 市内を流れる旭川のほとりで食べる。冷めないうちにと思って急いで食べた。 美味しかったけれど味はけっこう濃い目で、あとからのどが渇いた。 岡山城も改修中で覆いに隠されていた。このタイミングでいろんな観光地が改修工事をしているようだ。 どうせまた行く機会はあるだろう。そう思って、定番観光地(今回のコースで言うなら倉敷美観地区や後楽園など)には足を運んでいない。 食後、岡山の路面電車も乗り潰す。広島ほどの路線延長はないので、あっという間だった。 中心市街地の商店街をフラフラして(知らない街のアーケード商店街を歩くのが好きです)から岡山駅へ。 今日の夜行列車でいったん東京へ帰ることにしている。ここしばらく忙しくて週記をまったく書けていないかったので、岡山駅のベンチに座りパソコンを広げる。 17時から5時間ほどずっと書いていたが、中身がどんどん膨らんでいくし、出来事が色々ありすぎて数日前のことを思い出すのもひと苦労で、結局書き終わらず。 22時半岡山駅発の東京行きサンライズ号に乗車。帰りもノビノビ座席である。指定された席に行ったらなぜか先客が寛いでいて、 こういう場面で声をかけるのは不得意なので、車掌さんに丸投げして、ラウンジで酒を飲んでいた(先客の勘違いだったらしく、どいてもらえた)。 大阪駅につく頃(24時半)に自分の寝場所に行って寝る。

12月22日(水)晴

7時過ぎに東京駅に到着。寝られなかったわけではないけれど、寝足りない感じ。 8時に帰宅。荷解き。まず洗濯機を回して、その間にシャワーと朝食。食べ終わったところで洗濯機がちょうど止まるので、ベランダに干す。 大学へ。10時半からの講義になんとか間に合う。一緒に受講している同期にお土産を渡して、地下鉄で中学校へ向かい17時過ぎまで滞在。 帰宅して洗濯物を取り込んで、荷造り。18時半にザックを背負い東京駅へ。東海道新幹線「こだま号」に乗車し、 今朝東京駅で買っておいた人気駅弁「牛肉どまんなか」(食べるのは初めて)を キオスクで購入した赤ワインとともに食しつつ、4時間かけて新大阪へ。 こだま号は新大阪まですべての駅に停車するので、のぞみ号に比べると1.5倍以上時間がかかるのだけれど 「ぷらっとこだま」という、こだま号専用の安く移動できてグリーン車にも乗れるきっぷがあり、それを使ってみた。 グリーン車は全席にコンセントが備え付けられているので、車内でパソコンを広げて、ここ数日撮ってきた写真の現像をしていた。 先日大学の友人(カメラマン)と成田空港に撮りに行ったときに教えてもらって、カメラ内部での撮影データの保存形式をJPEGからRAWに変えた。 容量は食うけれど、現像がすごくやりやすい。撮ったときは全然冴えなかった写真が、ちょっと色合いを弄るだけで俄然イイ感じになっていくので面白い。 それから、寮の友人(よこ氏)が仲間と空を飛ぶロボットを作ってコンテストに出場してきたということで、 その参加記を読んだ(「飛行ロボコン2021参加記」)。 半年ほど前に僕の部屋のプリンタで翼断面図刷ってたな、と懐かしく思い出しつつ読んだ。好きなことに打ち込んでいるのがとにかく良く伝わってきて、良かった。 24時前に新大阪駅前のホテルに到着。すぐ寝る。旅行という非日常に、唐突に日常を突っ込んでみたという一日だった。

 

12月23日(木) 曇時々晴

6時半起床。新大阪駅から特急「スーパーはくと号」に乗車。一路鳥取へ。 今日からの3日間は「JR西日本どこでもきっぷ」という、 2万2千円で新幹線・特急列車含めた西日本のほぼ全ての列車が3日間乗り放題になるきっぷを使ってあちこち回ることにしている。 これまでは「青春18きっぷ」という、普通列車しか乗れない乗り放題きっぷで全国を周っていたから、優等列車に好き放題乗れるというのはとても新鮮だし、 素早く移動できて行動範囲も広がるので旅程を組むのも楽しかった。 ちょっと寝不足だったのでウトウトしていたら10時過ぎに鳥取に到着。 昼食に名物駅弁「かに寿し」とお酒(駅前の酒屋の店の人に薦められた「鷹勇」という銘柄の小瓶)を持ち込んで、 11時半の特急列車で松江へ。今日の午後は島根の「一畑電車」という私鉄を乗りつぶしながら、出雲大社にも寄る。 一畑電車の車窓から眺める宍道湖が綺麗だった。 サークル(鉄研)の後輩も偶然に松江にいたので、出雲大社で合流。2人で周ってきた。 出雲市駅近くの蕎麦屋で割子蕎麦を食べてから、後輩と別れ、宿泊地の松江に戻る。 そばがやや少なかったのでコンビニ弁当で腹を満たしてから、21時過ぎに就寝。

12月24日(金) 晴のち曇

5時半起床。7時前の特急で米子へ行き、境線というローカル線を往復。 終点の境港は漫画家の水木しげる氏の出身地ということで町おこしをしており、駅周辺の至るところに妖怪のイラストやモニュメントが置かれていた。 ここで地酒の「千代むすび」のカップと、地物朝獲れの鯵の刺身、ご当地パンの「ブドーパン」を購入して、米子に戻って特急「スーパーおき号」に乗車。 東西に長い島根県を4時間近くかけて横断。車窓からときどき日本海が見えて、この日は天候も穏やかだったので波がきれいで良かった。 西の端の津和野(つわの)という町で降りる。ここは明治の文豪森鴎外(現代文の教科書にも載っている「舞姫」を書いた人。高校時代好きでよく読んでいました) の生誕地として知られているほか、風情ある街並みを残していて「石見の小京都」ともいわれる観光地なので、きっと何かあるだろうと思い、特に事前に下調べもせずとりあえず3時間ほど滞在してみることにした。 結果からいえば、3時間は長すぎた。鴎外の墓所は行っておきたかったので足を運んだのだけれど、年末のなんでもない平日ということで駅周辺は閑散としており、観光客らしい人は全くと言っていいほど見当たらず、 温泉は3kmくらい離れていてバスもなく、山あいなので天気もどんよりして寒かったので、結局2時間ほど時間を持て余して津和野駅(無人駅で暖房もない)のホームで大学の期末試験の勉強をして過ごした。 想像以上に寂しい町だった…人影がまばらだったのもあるかもしれないけれど。 山口線を南下して18時半ごろ新山口へ。新幹線も乗れるという切符の効力を最大限に生かすべく、特に意味もなく片道40分ほどで行ける博多まで行ってみることにしようとホームに上がったら、 ホーム上の至るところで「撮り鉄」がカメラを構えている。珍しい列車でも来るのだろうか、と思っていたところに、 轟音と共にドクターイエロー(新幹線の軌道・架線のメンテナンス用車両。まあまあ珍しい)が博多の方に向かって走り去っていった。 目撃できたのはラッキーだったけど、事前に知っていたら写真を撮ったのになあ…という感じ。 博多駅での滞在時間は20分。駅の売店でちょっと良さげな明太子弁当が半額になっていたのを買って、帰りの車内で食べる。 今日の宿泊地は山口県の宇部。宇部新川駅に21時半ごろ到着し、駅前の「中華そば一久」で名物宇部ラーメンを食べる。 かなり臭いの強いとんこつラーメンだった。好き嫌いが別れそう(僕は好きです)。 街のどこからでも目に入る宇部興産(宇部市はこの会社の企業城下町である)の巨大な煙突にもサンタクロースは降りようとするのだろうか、とか無意味なことを考えながら宿に入って23時すぎに就寝。

12月25日(土) 曇

5時半起床。今日がきっぷの有効期限日。朝から荷物をまとめ、 宇部線・小野田線というローカル線を乗り潰す。本数が少なく(一番少ないところでは一日3本)、朝夕主体の運行なので、この時間帯を狙うのが一番なのである。 クリスマスの早朝にローカル線に一緒に揺られている人々、部活に行く高校生か同業者(乗り鉄)のどちらかしかいなかった。 新山口を10時ごろに出る新幹線で関西へ戻る。普通列車だと一日がかりの距離をわずか2時間あまりで走り抜けてしまうものだから、新幹線は早すぎる。 車内でふと思い立って調べたところ、昨日新山口で見送ったドクターイエローが、僕の乗っている便の後ろをつけてきているらしいということが分かったので、姫路駅で降りて狙ったところ、しっかり撮れたので満足。 午後は神戸の地下鉄を乗りつぶし。いろんな駅に昨今流行りの「駅ピアノ」が置かれていて、小さい子が得意げに弾いているところもあって良い雰囲気だった。 夕方に大阪駅に到着。缶ビールと551蓬莱の豚まんを買って、故郷に向かう特急「サンダーバード号」に乗車。 地元は今夜から雪の予報が出ていて、北上するうちに窓の外の景色が白くなっていく。福井を出る頃には吹雪になっていたが、特急列車は遅れることなく終点金沢へ。 20分だけ新幹線に乗り、久しぶりに富山へ。普通列車に乗り換えて実家の最寄駅に2年ぶりに降り立つ。20センチくらいの積雪だったが、足元はスニーカー。申し訳ないと思いつつも親に車で駅まで向かいに来てもらった。 2年ぶりに会う両親は、母親はあまり変わっていなかったが、父親は目に見えて白髪が増えていた。要因の何割かは僕にあるのだろうな、と静かに反省しつつ、実家では祖母と、祖父の遺影が待っていた。ようやく御仏前で手を合わせることができた。 死にも葬儀にも立ち会えなかったぶんの色々な話を祖母が訥々と語ってくれた。祖父が倒れたのも今日のように雪が降る日だったという。 この日は仏間に布団を敷いて寝ることにした。気温はおそらく氷点下。この部屋には暖房がないので、敷布団・掛布団それぞれ3枚ずつに、股引・厚手の靴下も履いて、湯たんぽを抱えながら寝た。 ここまですれば流石に寒いということはないし、実家にいた頃はこうして寝ていたな、と懐かしかった。

12月26日(日) 雪

7時半に起床。朝食は焼き魚(かます)だった。メチャメチャ旨かった。ちゃんと魚の味がするのである。日頃食べている魚がいかに塩まみれであることか…という気分にさせられる。 昼まで父親と色々語らうなど。前に帰ってきた時は畑だった家の周りが、整地されて宅地として売り出されているのを見て驚いたのだが、その辺の話などを聞く。すったもんだあったらしいが、実家だけは変わらずに残ってくれていたのでありがたいことである。 積雪は30cm強ほどか。地元ではこの程度では「大雪」にはならない。午後は、時間通りにやってきたバスで街(富山市街地)に出て、雪の中を走る路面電車の写真を撮るなどしてから、帰りにスーパーに寄って地物の刺身を買って戻った。 夜は刺身をアテに父と晩酌。今日の最終の新幹線で弟が東京から帰ってくるので、23時頃母親と一緒に駅まで迎えに行った。 24時就寝。

12月27日(月) 雪

帰省も今日が最終日である。6時に起きて、雪の中を走る電車の写真を取りに行き、9時過ぎ帰宅。 朝食は「こんぶじめ」。実家では何を食べても美味しい。お正月に食べられないだろうからということで、祖母が餅を焼いてぜんざいを作ってくれた。 午後はスーツ(昨日弟が無事に運んできてくれた)を着て、来年春から働く地元の会社の内定者懇談会があって顔を出してきた。「雪がひどいので」ということであっさり終わってしまったものの、来年からの同期には知り合いも何人かいるので、挨拶ができて良かった。 着替えのために家に寄ったら、また刺身が用意されていて、弟と手巻き寿司にして黙々と食べた。 18時過ぎに弟と2人で駅まで歩いて行って、駅舎の中で長靴(この2日間お世話になりました)から、来るときに履いてきたスニーカー(この2日間出番はありませんでした)に履き替えて、富山駅へ(長靴は弟が実家に持ち帰ってくれた)。 仕事帰りの父と駅のマクドナルド(富山市街地のマックはつい最近、10年ぶりくらいに復活した)でちょっと喋ってから、19時半の新幹線で東京へ。 ドロドロの雪道を歩いていたのに、3時間後にはもうカラッと晴れて月が綺麗な東京の街を歩いているのは、なんだか夢の中のようである。 22時半に11日ぶりに帰宅。荷解きもほどほどに疲れいたので着替えてすぐ寝た。

12月28日(火) 晴

8時起床。午前中は、僕と入れ違いに明日から帰省する妹に会ってきた。 寮の鉄道マニアの後輩を連れ添わせて秋葉原の鉄道模型店に行き、半年前に予約注文していた商品を引き取り。 今はもう引退してしまった子供の頃の思い出の列車が商品化されたということで買うことにしていた。 こういうマイナーな車両の模型はすぐに在庫がなくなって販売終了になってしまうので、きちんと予約して発売時に確実に押さえておく必要がある。手に入って何より(だが、これで決定的な金欠に…)。 一度帰宅して、1時間ほど昼寝。夕方また家を出て、友人宅で、久しぶりに上京してきた(目的はコミケ)という故郷に住む高校同期と2年ぶりくらいに会う。元気そうにしていて何よりだった。 24時ごろ帰宅して就寝。

12月29日(水) 晴

8時起床。東京は毎日天気が良くて素晴らしいとしみじみ思いながら洗濯機を回す。 日中は日本酒ネタの雑稿を執筆していた。 記事にリンクを貼りまくるのに時間がかかってそれで一日が終わっていった。18時から都心のサイゼリヤで友人と夕食を摂り、帰宅。記事のアプロードを終えて25時就寝。

12月30日(木) 晴

8時起床。ひとりで年を越すので派手な買い出しをする必要もなく平常運転。大人しくオンライン授業を見たり卒論の構想を練るなどしていた。 夕方にモスバーガーに行って、期間限定で復活している獺祭シェイク(素晴らしいWebページですね)を飲みに行った。 また飲めるとは思っていなかったので感激。その後スーパーへバイト(今日から深夜帯5連勤である)へ。 年末で買い物が多くなっている時期に、今日は年末10日に一度のポイントサーピスデーが重なっていたため、20時くらいまでは殺人的な忙しさだったものの、 それ以降はみんな一家団欒しつつテレビでも見ているのだろう、お客さんは少なくなって楽だった。コンビニでおでんを買って24時前帰宅。晩酌してから26時に就寝。

12月31日(金) 曇

8時過ぎに目が覚めるも、今日は初詣のために夜ふかしをするつもりなので意図的に二度寝をしたら12時になっていた。寝過ぎた。 軽くご飯(年末年始は寮の食堂が閉まっているので、パックごはんを買い溜めしている)を食べたから、溜め込んでしまった週記をひたすら書く。 いま15時くらいなのだが、このあとは風呂に入って年越しそば(カップ麺だけど)を啜ってからバイト(スーパー)へ行き、2年連続の年越し労働を終えてから、 終夜運転の地下鉄で湯島天神にでも参りにいこう(去年もそこまでの人出ではなかったので)かと思っている。

今回の更新をもって、毎日書くスタイルでの週記はおしまいにします(12月1日の記事を参照)。たまに何かしらの近況報告は書いていこうと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。 お付き合いいただきありがとうございました。良いお年を。

(終わり)